パレ・デ・ナシオンのクジャク

ジュネーブ国連欧州本部は国際連合のニューヨーク本部に次ぐ規模を誇る。1920年に国際連合の前身である国際連盟が設立されて依頼、本部の所在地となったジュネーブはアリアナ公園内に1926年から36年にかけてパレ・デ・ナシオンを建造した。近代的なニューヨーク本部と対照的な、白亜のアールデコの建物であるパレ・デ・ナシオンは国際都市ジュネーブの歴史を感じさせる。パレを囲むアリアナ公園は45ヘクタールもあり、600種の木々が植えられている。もとは私有地だったが、ルビヨー・デ・ラ・リーブ家というジュネーブ名家の所有者が、クジャクと人間が自由に歩きまわれることを条件にジュネーブ市に遺譲した。

公園内にある、19世紀に建てられた3つの別荘のひとつが私の国連勤務時代の職場であった。このヴィラ「ボカージ」は、文豪トルストイが叔母を見舞うために何度も宿泊した歴史的な建物で、2010年11月のトルストイの没後百年には記念プレートが設置されている。

このような歴史的建物の中に当時は国連人事部研修課の事務局をおいていたわけで、用途に合っていない建物を無理に使用していた感がある。仕事柄いろいろな国際機関の研修所を訪ねたが、天井にフレスコがあり、大理石の暖炉や、組木の床のあるサロンでトレーニングをしている機関にはお目にかかったことがない。私のオフィスにもアンティークの鏡や暖炉があり、天井まで届く窓からは、庭に通じるテラスにでられるようになっていた。そこからはアリアナ公園の池と花壇そしてうっそうとしげる木々が見渡せる浮世離れした環境であった。

アリアナ公園にはクジャクが放し飼いにされており、当時からヴィラ「ボカージ」の周りを自由に俳諧していた。このクジャクは注目を集めるのが好きなのか、研修中、参加者がたくさんいる部屋の窓にきては叫び声をあげ、豪華な羽を広げてみせるのだった。研修参加者も大喜びでトレーニングは中断され、インストラクターを嘆かせたものだ。

ある時恒例のクジャクのショーが途絶えたことがあり、国連職員である庭師に事情を聴いたところ、夜中に公園の狐に食べられたということだった。その頃のクジャクはインド政府からの寄付だったが、寄贈物の消滅が外交問題に発展しないよう、速やかに新しい鳥が補充された。

その後フランスのシラク大統領が乗った公用車がクジャクを轢いた事件もあったりと色々な原因でクジャクの数は減少した。そのため、1997年には日本の動物園から多くのクジャクが寄贈された。今いるクジャクのほとんどは日本生まれかその子孫だということだ。

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