私はどうやって国際機関に入ったか

今回はILOを昨年末に退職された野口好恵さんの原稿です。野口さんのプロフィールはアドバイザーをご覧ください。

2019年末で30年以上働いたILOを退職した。デュアルキャリア・カップルで転勤転職もない中、定年まで勤め上げた一例である。

大学法学部卒業後、国家公務員試験(法律職)に通り霞が関勤務中に、Associate Expert(AE、今のJPO)として1981年から2年間ジュネーILO本部に派遣された。公務員の在外研修制度で留学したいと公言しているうち、外国に行きたいならとAE受験を勧められた結果である。その後若手国家公務員をそういう形で国際機関に送り込むことは無くなった。

国際機関に入るために国家公務員を目指すのは本末転倒であろう。しかし公務員経験が全く無駄だったわけではない。日本で学び日本の仕事で扱った法律も、基本は西欧からの輸入品、法律というものの枠組み・考え方を体得させてくれた。加盟国政府の法律改正を支援する折、縦割り行政に驚かなかったのも、国内経験のおかげか。

新卒一括採用の日本と違い職歴は大切だ。ただし、日本で新人がするコピー取りや使い走り等こちらでは秘書の仕事なので、履歴書の書き方には注意が必要。『キャリア国際機関』が当時あったら助かったのに…。

さてAEから帰国後3年ほど霞が関でいわばお礼奉公。この間結婚した相棒はジュネーブに定職があり、思案の末私が国家公務員を辞めて同行した。数年は扶養家族として過ごし、複数のポストに応募しては落ち続けた。無職を理由に日本に帰されることはないが、家族と暮らすためにはジュネーブのポストに絞って探すことになり、痛しかゆしであった。勤務地に選択の余地があれば、採用の可能性が高まることは言うまでもない。

ILOで安定した契約をもらう前、1年間に5か月3週間(注―6か月以上の契約で年金権発生)繁忙期だけの短期契約で次の契約無保証、を数回繰り返した。でも声がかかったのは、以前のAE経験や採用試験でショートリストまで残ったから。若い人の非正規雇用の増大は、日本に限らず世界中で最近大きな問題となっているが、30年以上前既にあった。 3度の出産が全て定期契約以前で、産休を一日も取れなかったのは、個人として残念な上、非正規労働者に法的保護が及ばない構造上の問題でもある。この件はILO労働法部門で担当したので、いずれまた。

国際機関を目指すならあきらめず楽天的に、でも手立てをつくして挑戦し続けてください。

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